ホーム > 特集・メディア > 2011年11月

セキュリティー温故知新 (11月号)

皆さん、こんにちは!今月より「セキュリティー温故知新」というタイトルにて連作させて頂きますので、よろしくお願いいたします。

さて、「温故知新」という言葉ですが、昔からよく聞く言葉ではありながら、私はあやふやな理解しかしていませんでした。改めて辞書で調べてみましたのですが、論語の一説だそうで“古きをたずねて新しきを知る”という意味だそうです。もう少し具体的に言いますと、昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい見解を得ること。私は自分が開催するセミナー等で「いま発生しているゴト手口は過去のゴト手口の焼きまわし、つまり繰り返されることが多く、本当の意味でまったく新しいゴト手口はわずかですよ」ということを常に口にしますが、まさにこのこととは今回の表題どおりであり、過去のゴト手口をしっかりと見直すことは、これから発生するかなりのゴト行為も未然に防げることに繋がることになるのです。

余談ですが、セミナー等で参加者から頂くアンケートに、「古いゴト手口はいいので、最新のゴト手口だけ教えてほしい」というようなことを書かれていることがありますが、正直そういう方はゴトの本質をまったくわかっていないのでは、と思ってしまいます。

ついでにと言っては何ですが、私がやるゴトセミナーにおいてよく使う言葉をもう一つ紹介します。すでに何回も聞いて「耳にたこができた」と言われる方もいるかも知れませんが、知らない方もいるかもしれませんので、ちょっとだけご辛抱ください。

皆さんは安土桃山時代に大暴れした、「石川五右衛門」という大盗賊の名前を聞いたことがあると思います。強盗、追剥、悪逆非道を働き、また時の最高権力者である豊臣秀吉の暗殺を企てたとこか諸説ありますが、結局は捕まってしまいます。秀吉は腹いせに飛んでもない処刑を実行するのですが、それは当時非常に貴重であった菜種油を大きな釜で沸かし、五右衛門の幼子とともに「釜ゆでの刑」にしてしまうのです。ちょっと想像するだけでも、「ゾッとしてしまいますね」。

ちなみに、五右衛門風呂というお風呂の名前の由来はここからきているそうです。この五右衛門風呂、昔父方の田舎で入ったことがありますが、浴槽が鋳物で出来ているため、入るときには浴槽に浮いている丸い木の板を踏み込んで沈めて入らないと、大変な目にあいます。ただし、浴槽がお湯より温度が高いため、遠赤効果が出てとても身体を温めるそうで健康には非常に良いそうです、ということをこの風呂釜の名誉のために加えておきます。

その処刑寸前に秀吉は五右衛門に最後に言い残すことはないか?とたずねます。すると、五右衛門はそれに答えて一首歌を歌います。それが「浜の真砂は尽きずとも、世に盗人の種は尽きまじ」という、有名な一説です。これは言うまでもなく、海岸等に無数にある砂がなくなることがあっても、人が存在する限り盗人は必ず存在する、という意味ですが、これをパチンコ業界に置き換えると「銀の玉は尽きずとも、世にゴト師の種は尽きまじ」となります。どうやらゴト師との闘いは止めるわけにはいかないようです。

当時では思いもよらないほど進化を続けている現在社会ではあっても、犯罪やらその他の悪現象は減るどころか、益々増加し残虐化しているわけで、まさに五右衛門は未来を読んでいたのではないかと思います。

ちなみにこの五右衛門の話ですが、けっして講談の中の作り話ではありません。ウィキペディアにも掲載されていますが、当時日本に来ていたイエズス会の宣教師が日記に付けていたようで、それには石川五右衛門という実名が記載されていたようです。

前置が少し長くなりましたがそろそろ本題に入りたいと思います。今号はスタートといいうこともあり、表題である「温故知新」を踏まえてわが業界におけるゴトのルーツを探ってみたいと思います。

ここからは、一般社団法人遊技球製造協会のホームページに掲載されている内容の一部をお借りいたします。

第二次戦争が終焉を向かえると、軍事用の7/16インチ(11.11mm)のベアリング球が必要なくなり、大量に放出されました。昭和21年(1946年)に禁止になっていたパチンコが復活したのですが、その遊技球に流用されました。その後、S23年に1玉1円となり、S24年には正村ゲージが登場し玉も1玉2円になっています。S27年(1952年)に連発式が登場して一台ブームになりますが、一方でホールはヤミ玉(現在の持込玉)に悩まされていたことが推定されます。それはその年に自店名の刻印入り遊技球が登場しているからです。S28年(1953年)ごろにはパチンコ店が急増し、一時期最大で387,664軒あったそうですが、このころ、私が育った狭い地域でも20~30台ほどのホールが2件あり、周りの大人たちがパチンコ店に出入りしていて、彼らが集まると必ずと云ってよいほど勝った負けたの話題がでていました。そのときになぜかいまでも覚えているのですが、彼らの話の中にセルとか磁石とかの言葉が時々出ていたのです。彼らがそういうものを使っていたかは定かではないですが、小さなお店で店員もほとんどいない状態であったでしょうから、そんなこともいとも簡単にできたのではないかと思います。

S35年(1960年)にパチンコメーカーの銀座が始めて2枚ガラスを採用し始め、他メーカーもすぐに追随しています。音の軽減などもあったでしょうが磁石ゴト対策が大きな理由であったと思います。

実は昭和37〜8年ごろぐらいから、私はちょっとしたきっかけからパチンコ店の社長さんに可愛がられるようになり、店内の厨房でご飯をよばれることが時々ありました。そのときによくその社長さんや従業員の方たちが「セル使い」とか「磁石使い」とかの言葉を出していたのです。その当時は「ゴト師」という名称があったのかどうかは定かではないですが、私の記憶では前述したように「○○使い」と言っていたと思います。

先に紹介したヤミ玉は少なくても1952年以前から、またセルゴトや磁石ゴトにおいても、ある初代オーナーにこのことを聞いてみたことがありますが、「2つともかなり早い時期に発生していたよ」という答えをいただいています。

本年は2011年ですが、この3つのゴト手口は現在でも発生し続けています。言葉は悪いかも知れませんが、少なくても60年以上健在なゴト手口ということになるわけです。このことからも、ゴト対策の実行は最新ゴトばかりを追うだけではなく、「過去をたずねる」ことがいかに重要かお分かりいただけたのではないでしょうか?

今回の表題である「温故知新」という言葉はまさにぴったりなのです。

 

■南光国昭■
パチンコパチスロ産業界で、数少ないゴト対策の専門家として多方面で活躍している。株式会社コスモローム研究所相談役、日遊協近畿支部セキュリティー部会顧問、日遊協不正対策勉強会講師。